ARTISTS

齋藤 芽生

Meo SAITO

1980年代後半。流行歌の歌詞から情景描写が消えた、ふとそう思ったのが初めだった。様々な表現から、複雑で微妙なニュアンスが消え、当たり障りのない言葉が多用されるようになった。それまで日本人のどんな些細な表現の根底にもかろうじて残っていた文学性が、いよいよ喪われてゆく予感がした。人が、自らの言葉で自らを語ることをやめてゆく、そんな気がした。1970年代生まれの私が初めて経験する、一つの時代の節目だった。やがて世界では東西冷戦構造が一挙に崩れた。日本では第二次世界大戦の記憶の象徴だった昭和天皇が死に、「平成」・・・平ら(平板)になる、という意味の元号が新しい時代の名に命名された。日本人を豊かさの幻想に溺れさせたバブル経済も崩壊した。目には見えないが、時代のムードは加速度的に、「複雑なこと」「暗い側面」「古い記憶」を忘れたいという方向に傾いていった。あらゆる「表現」の土壌が、個人の複雑な内面にではなく、消費社会の表層に求められる傾向が加速した。

消費をあおるための様々な情報戦が派手になる一方で、個人が背負っている一人一人の人生の情景が希薄になってゆく。一人一人が時代の証言者足り得るということも忘れられていく。これから一層あらゆる表現から微妙さも、濃密さも、そして厳しさも、消えてゆくのではないか。言葉が消えて行くばかりではなく、言葉を生きたものにさせるはずの、人生そのものが希薄になってゆくのかもしれない。私たちは、貌のない表層文化に均質に覆われてゆくことに、身を任せ切っている。そして、人独りの内面生活がいつか人間の普遍に繋がり得る、という地道な夢を棄てつつある。それは空恐ろしいことではないか?

高度経済成長期に林立した郊外の団地群に私は育った。同じ窓の連続する均質な風景は、強く私の心に残っている。そこに住む人々は都会的で西洋的な生活を送っているように見えたが大抵、地方から都会に夢を求めてやってきた人だった。それぞれが故郷の事情や多様な因習を過去に背負っていたはずだ。皆それを敢えて見せないように「都会的に」振る舞っていた。その殺伐とした風景と人間の複雑さとのギャップに、違和感も感じ、同時に興味も持ちながら、私は育った。何千もの同じ形の窓。草も芝もまだまばらな寒々とした花壇。団地内の集会所でとり行われる住民の葬式、そこに並ぶ花輪の異様なあざやかさ。親の会話や雰囲気の端々から匂う、底知れない古い日本の、見知らぬ遠い土地の、闇の匂い.....

あれらの忘れられぬ光景を、一つの手見知らぬ遠い手がかりとして、私は自分自身の人生の「情景」を、そして日本の闇の「情景」を見つめたいのだ。

齋藤芽生